2005.07.24 Sunday
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皆川ゆかさん、洋書に登場
ゆかさんが登場すると聞いて、『Wrong about Japan』(Random House Inc (T)、2005年)を読んでみました。拾い読みでも時間かかったよママン。著者のピーター・ケアリー氏はオーストラリア出身の現在62才。イギリス最高の文学賞であるブッカー賞を受賞した大作家です。彼は「Real Japan」を知るために、日本のアニメやマンガが大好きな息子(チャーリーくん、12才)と共に、ニューヨークから来日します。そして、富野由悠季氏や宮崎駿氏などの業界の人間にインタビューして回って、甘い幻想と期待を次々ぶち壊されていくわけで…これじゃ失望するために来日したようなもんだ(笑)
皆川ゆかさんは、『機動戦士ガンダム公式百科事典』の著者としてインタビューを受けています。ケアリー父子が人生で初めて出会った「real otaku」は、ハイヒールの音も高らかに講談社のロビーに現れ、会議室で「オタクとは何ですか?」という問いに答えます。以下、超訳(カッコ内は私の注釈です)。
「80年代半ば、新井素子という日本のSF作家がいました。彼女の文体のクセの1つが、例えばフランス語の vous と同様に他人行儀な二人称である おたく を用い、非常に格式張って読者に呼びかけるものでした。彼女のファンはこの本が好きで、互いを”オタク”と呼び合うこの特異な用法を取り入れたんです」分かりやすいけど手厳しい例えだ(苦笑) ゆかさんは、周りの社員が仕事をさぼってサッカーの日本対チュニジア戦に熱狂する中、「ださいTシャツを着た顔色の悪い太ったティーンエイジャーの絵」を描き、「典型的なオタク」を説明します。テキサス人が皆カウボーイ姿なわけがないように、こんな分かりやすい格好をした者はそう多くはなく、むしろオタクのコミュニティの中でも嘲笑されることがある、と。
「非常に敬った呼び方なんですね?」と私(ピーター・ケアリー)は尋ねた。
「No!」ゆかは英語で叫んだ。
チャーリーは私の質問に目をしばたかせた。
「今の”オタク”の使い方は」ポールが翻訳した。
「反対です。もう新井素子の散文をまねたファンの事ではありません。もはや愉快でもないです。尊敬でなく、差別的なものです。本来の意味を込めずにあなたを”サー”と呼ぶのに似ています。皮肉であり、嫌味です」
ゴーストバスターズのバッジのように、この(典型的オタクの)絵の上に赤線を引いたバッジを付けていたものです。というのは本当だろうか。
ナード nerd というよりアフィショナド aficionado で、アウトサイダー outsider よりホビイスト hobbyst に近い、と説明される「オタク」。根底が違う2つの言語間での相互定義は難しい。
すでにガンダムの生みの親である富野由悠季氏に会い、「ガンダムはただオモチャのロボットを売るために作ったんだ」と宣告されていたケアリー氏(ブッカー賞作家のオタク紀行/箱男参照)、「息子と2人、ブルックリンの地下鉄であれこれ妄想していたときが幸せだったよう」と虚脱モードです。「マンガが発展した最大の理由は、戦後の日本にテレビがなくて、ウォークマンのように雑踏の中でもプライベートな娯楽を提供できたからじゃない?」と質問するも、
私がどんなに同意を期待しようとも、(それは叶わず)ひどい落胆を得ることになるだろう。と投げやりです。そしてそれは正しかったわけで。
ゆかさんは、マンガの起源は紙芝居にある、とぶち上げます。紙芝居屋の真の目的は紙芝居に寄ってきた子供たちにお菓子を売る事で、彼らは雑誌の台頭と共にマンガ家に転身したと。通訳のポールが、ゆかさんの言葉を翻訳していきます。
「あなたが今日ニューススタンドで見るマンガは、1950年代に初めて現れた子供雑誌から発展しました—これらは初めは月刊で、やがて絵や物語、そしてじきに雑誌全体を占める絵的な物語—マンガの載った週刊になりました。1960年代までには、「アクション」とか「アクション映画」といった、劇画と呼ばれる特定のマンガの種類が成立しました。ゆかが言うには—とても大事な事ですが—これらは18才以下の子供がターゲットでした。東大生がマンガに執心するようになると、次第にマンガは、政治や、そう、性的なものや、ときには暴力といった、彼らの関心事を反映するようになりました。この学生たちは(現在までに)大成功し、尊敬を集めてきました。彼らは今は50代か60代ですが、いまだにマンガを読んでいます。アメリカではこれは起こりません。ゆかは、思うにこの大人向けのマンガは、テレビの不在ではなく、もっと日本独特のものに原因があると言っています」世の中ビジネス。うちのめされたケアリー氏は、「ガンダムって、悲惨な戦時下という現実からの逃避を象徴する乗り物じゃなかったの!?」と、もうすでに富野氏の所で否定されている持論を未練がましく持ち出します。
(中略)
「最も人気のマンガはテレビアニメに作り直され、成功したテレビアニメはやがておもちゃ、特にロボットを生み出します。鉄腕アトムはもちろんロボットです。しかし、本当に初めて成功したロボットはマジンガーZです。そこでは少年がロボットを操縦します。彼はロボットの頭に登ってロボットに乗ります。日本のアニメでのロボットブームの発端はマジンガーであり、オイルショックがブームの継続を確実にしました」
「オイルショック?」と私(ケアリー)は尋ねた。
「石油危機の事です。この後、費用がかかりすぎるので、実写フィルムではロボットを作れませんでした。人々がロボットを欲するのに理由はありません、自然にそうなるのです。しかし、オイルショックのために、ロボットはアニメ化されました」
「しかし、なぜそうロボットに執着するんです?」
「申し上げたように、オモチャ(のため)です」
ポールがゆかに話すと、彼女は普段通りに笑い、頭を振った。チャーリーはテーブルの下で私を小突いた。やっとガンダムの象徴性が語られたと思ったら真っ向から否定されるケアリー氏、ちょっと可哀想。そしてゆかさんが出したロボットのスケッチが気になる。
「ゆかは、まったくそんな事はないと言っています。彼女は、モビルスーツに乗る操縦士になる事は、正しくは子宮に入るようなものだと思っています」
驚かないわけがなかった。それは、むごたらしく空に散る、機械製の巨大なサムライについて私が感じた事がないものだった。「子宮に入る?」
ポールが解説した。「ロボットが害されて傷つくのを見ると、ロボットを操縦している人間も負傷するのに気づくでしょう。ゆかは、論理的に考えるならこれは起こり得ないと言っています。操縦士たちは、少々手荒な目に合わされている戦車に乗った男たちみたいなものかもしれませんが、この(ロボットの)操縦士たちは子宮の中にいると解釈すべきです。彼らは母体が感じる事を感じます。あるマンガ評論家は、ロボットの子宮に人間が入るとき、ロボットの外装は人間の体になる、とかつて言いました。これは、モビルスーツ内部にいる事が、自分と世界を隔てるようなものだというあなたのアイデアとは真反対です。ゆかにとって、操縦席は世界と接触しあえる安全な場所なのです」
その後、ゆかはチャーリーに、自分が作れたらいいなと思っているいくつかのオモチャのロボットの緻密な絵を見せた。これらのスケッチで、彼女の考えが不気味なほどに鮮明になった。そのロボットは妊婦のようで、操縦士は丸々とした腹部の中に位置していた。
彼女は、チャーリーがそれらを好きかどうか知りたがった。
「ええ、」私は、チャーリーの口角のとてもわずかな動きを見ながら翻訳した。「私は、彼はそれがとても好きだと信じますよ」
ポールがこれをゆかに中継し、我々はゆかがポールに長い間話すのを待った。「彼女は言っています」と彼はようやっと我々に言った。「日本語には、2つまたはそれ以上のものが何らかの方法で1つに結合するという、グタイ(合体?)という言葉があります。ガンダムのモビルスーツの合体は、タンク車のようなものではなく、一体化という形をとっています」
来日前にはアニメ・ガンダム文化の裏に深〜い背景(といっても第二次世界大戦や原爆の影響ですが)を想像していたケアリー氏は、それをことごとく崩され、すごすごと日本を後にします。各氏とのインタビューは、まさに「残酷な現実世界との接触の場」になったわけで。でも、これは彼らに限らず友達どうしでも身近に起こる事だよなぁ。
あと、比喩を多用し、微に入り細に入る説明を惜しまないゆかさんの物の言い方が小説と同じで、彼女が『運タロ』の作者と同一人物だっていうのが変に実感できたり。《審判》あたりの物言いとそっくりだと思ってしまった(笑) でもきっと、ケアリー氏の目には、こんなに熱くオタクやアニメの起源を語る日本人の姿こそが奇異に映っただろう。日本側からすれば、そんな日本人に困惑するケアリー氏の困惑ぶりがまた珍妙で面白いわけですが。ああ無限スパイラル。
時間の合間を見てもう少し精読しようと思いますが、とりあえずケアリー氏には「知らぬが仏」という日本の言葉を贈っときましょう。
